春に浮かれる時には

2024 綿、麻、シリアス染料、色挿し、浸染、抜染

今から約10年前の2015年の春先、新大学二年生の私は、上野公園で花見をしていた。というのは、毎年入学式前の時期に、上級生らをホストにその年入学する新一年生を呼んで花見をやるのが恒例だったからだ。

花見というのは浮かれている。乱痴気で、猥雑で、騒々しい。まして大学二年生など、若者にまつわるさまざまなストレスから最も縁遠くなる狂乱の年代である。卒業の苦労、進学の懊悩、就職の心労、何もかもがその時の私からは遠く、まるで夢の中のような気分であり、そこにあるのはうららかな春の陽気の下の満開の桜の海だけだった。

江戸時代の仮名草子・地誌である『紫の一本』には、江戸時代の上野の花見の様子が描かれている。この本は江戸のさまざまな名所についてその場所を代表するトピックごとに取り上げる形式で、「川」の項には隅田川など、「池」の項には不忍池などについて書かれているといった具合である。そして「花」の項に東叡山、今では上野として知られる地について記述がある。

東叡山、黒門より二王門の並木の桜の下には花見衆なし、東照宮の御宮の脇後松山の内清水の後に、幕はしらかして見る人多し、幕の多き時は三百餘あり、少き時は二百餘あり、此外連立たる女房の上着の小袖、男の羽織を、辨當からげたる細引に通して、櫻の木に結びつけてかりの幕にして毛氈花むしろ敷きて酒飲むなり。鳴物は御法度にて鳴さず、小歌浄瑠璃踊仕舞は咎むる事なし。本町通町を始め、有徳なるもさもなきも、町方にては女房娘、正月小袖と云ふは仕立ず、花見小袖とて成程結構に手をこめ、伊達なるもの、数寄に好みたるを着て出るなり、花より猶見事なり(国書刊行会『戸田茂睡全集』1915, 284p)

花見会場の「幕」として、木の間に渡した紐に小袖を掛ける光景――その小袖は花見のために仕立てた一張羅である――が描かれたこの一節は、私に色々な連想を与えた。着るための衣類、自己を飾る装飾でなく、見るための絵にも似た布、あるいは自己顕示のための一種のアイテムとしての着物。あるいは、そこに記された見られるための模様。そしてまた、そもそも美しい桜の花の下で、その花をも凌駕せんとする勢いで存在感を放つ小袖の群れ。その景色の騒がしさ、目に痛さ、過剰さはいかほどであっただろう。

この連想は、小袖というメディアに対して、あたかもそれがたまたま布であるというだけの一種のポスターの類のような、見られる客体としての印象を強く私にもたらした。着るものであると同時にそれ単独で見られるものとしての側面を持つメディアであるならば、それは広義のグラフィックデザインと言ってよいのではないか。このような考えが、研究対象たる小袖を見る私の脳裏に育まれていった。

2024年の晩夏、私の中でふと、かつて経験した浮かれポンチの宴会の情景と、江戸時代の書物に描かれた宴の風景とが接続する感覚があった。小袖幕にインスピレーションを受けた作品を計画している途上、なぜそれまでそのイメージが浮かばなかったのだろうというほどに単純で素直な、一種の共感的な連想であった。300年前の人々が浮かれた場所で、私もまた浮かれていたのだ。連綿と繰り返される浮かれの歴史が上野の山の上で蓄積され、その中に知らずのうちに私の浮かれも含まれていたことに、その時いまさらのように気づいたのである。


この作品は、浮かれの聖地たるこの土地で偶然にも行われる展覧会に向けて制作した、小袖幕の表象に浮かれと騒乱の連想を重ねたものである。江戸から明治にさまざまな形で記述された上野の浮かれの情景をテクストとし、反故染模様としてマッシュアップし、その背後に佇む現代の上野の景色に透かし合わせた。

反故染模様はそもそも騒々しい模様である。それを形容するのにシックとかノーブルといった言葉は似合わず、アバンギャルドで荒々しいといった風情のほうが実態に則している。反故染模様にもさまざまな筆跡、密度、テクストのものがあるが、いずれにせよ静謐とはいかないだろう。筆跡のちらつき、テクストの意味のちらつき、文字造形のちらつきが渾然となって、見るものの目にはそのうちのいくらかが掻い摘むように流れ込んでくる。それは騒然とした花見の会場で、宴会の喧騒を成すさまざまな要素が掻い摘むように聞こえ、見え、感じられる時に似ている。

それを成すすべてを理解し解釈する必要などない。ふいに自分に流れ込んできたものを摘んでは、自分の中で好都合に咀嚼し、その空気感に思いを馳せるのだ。そうして自分だけの神聖な浮かれを楽しめばよいという祈念を込めて、この作品を提出する。(展示キャプションより)